Craftsmanship
私の職人論
株式会社 坂田技巧
代表取締役の坂田寛と申します。
職人論と言いますか、なぜ私が今の理念を持つようになったのか?を話したいと思います。
私は建築科の専門学校を卒業後
2×4(ツーバイフォー)工法のハウスメーカーの大工で職人をはじめました。
社会に出た頃
始めた頃は自分の車で現場まで行き、交通費はナシ…。道具に関しては必要最小限の、
・丸のこ
・手のこ
・さしがね
・えんぴつ
この辺りを支給してもらい、必要な電動工具は毎月少しずつ貯めて鉄砲やエアー工具を買い揃えていきました。
当時の日当は4.000円。
月収にするとおよそ100.000円でした。
当時実家に暮らしていたこともあり、家賃、水道光熱費、食費 などは0円。
車のローンと任意保険で40000円、携帯代10000円、残りの50000円でガソリン代と遊ぶお小遣い、こんな感じで最初に務めた工務店は2年働きました。
当時の私の親方は寡黙な厳つい方で、大工仕事に関しては全ての人間が認めるほどの超一流の技術を持っており、当時の私からすれば職人の神様のように見えていました。
指導の仕方も、こちらがなにか失敗しても決して怒鳴ったり、頭をしばいたりすることもなく、「そこはこうやったらから失敗になったんや。だから次からは、ここに気をつけてやっていけ。手直しは俺がやる。」
決してイラついて怒鳴ったりせず普通のトーンで諭すといった感じで、失敗の原因と傾向と対策を教えてくれる人でした。
私はもともと怒られて伸びるタイプではなく、当時の親方の教え方にすごく惚れ込んでいて、めちゃくちゃ尊敬し目標にしていました。
また、仕事というもの、職人というものはこうだ!!と、いった職人論も当時の親方に教わり、その姿勢は未だに心にあります。
2年経ったある日
ただ2年経った頃…。
私は、当時一軒家の2階の大工仕事(木材で間仕切り、ボード貼り、フロア貼り、建具枠とりつけ)などを任されており、1階の玄関周り、階段、和室、キッチン周りは兄弟子と親方がやっていました。
一つだけ不満があったのは日当の事。
最初の4000円はわかる。
仕事教えてもらいながらなおかつお金もいただける。そりゃ…4000円だ。
そう思って頑張り、1年経ち4500円に上がった時は飛び上がって喜びました。
2年経った頃には、2階の大工工事以外にも1階の玄関周りなども任せて貰えるように。しかし、そういった仕事を任せて貰えるようになったにもかかわらず、当時の日当は6000円でした。
親方はめちゃくちゃ好きで尊敬している。
でも、日当の不満が我慢できない。
私はすごく悩んで親方に「日当上げてください。」と、お願いするか…。
もう、辞めてしまい違う仕事をするか、どっちか決めないとなぁ…と、思っていました。
しばらく悩んだ結果は…。
「他の工務店に行って、いったい自分は日当いくらくらいの職人なのか腕試しをしたい。」そう思い、親方には腰の調子が悪く腰痛に耐えられないので辞めます。と、言い訳をして退社しました。
その後すぐに、知り合いの不動屋さんから紹介して頂いた、岸和田の工務店さんの面接を受けました。
そこの親方に面接の時、「日当なんぼからにする?」と問われて…。
私は、「僕の仕事を見てから親方が決めてください。」と伝え1ヶ月様子を見てもらいました。
結果、最初の給料日で 「よっしゃ!ほな1万からスタートしていこか!」と言われ、
私は、「え?!10000円!?前から4000円も多い!?月収250.000円もあるやん!」
と、大喜びで岸和田の工務店に勤め始めたのを覚えています。
転職から3ヶ月
約3ヶ月経った頃…。
そこの工務店の大工工事は、主にマンションなどの躯体の中の木工事、ウッドデッキの工事などで、以前の工務店のような技術がいるような大工仕事はありませんでした。
その技術がいらない一方で、体力仕事が多かったです。
そういった仕事内容なので大工が何人もいましたが、元々電気工事出身のおっちゃん達が多く、5.6年やっている20代後半の僕より年上の人ばかりでしたが、大工仕事に関しての腕は全然できてない先輩ばかりでした。
あと、仕事中にふざける人がとても多かったです。仕事中に私が仮設のトイレにいくと、わざわざ自分がやっている仕事を止めてトイレをゆらしてふざけてくる…、みたいな感じで仕事のプライドみたいなんがあまりないなぁ。と、カルチャーショックを受けてしまい、それはそれでお金は問題ないけど、今の大工仕事に対するヤル気が無くなっていきました。
そこの工務店を半年ほど務めた頃、私の同級生の友人と飲みに行ったときに「おれのところこんな感じで、あんまり仕事やる気になれへんねん…。」と、相談したところ。
その友人が、「それやったら俺が働いている建材屋が、エクステリアの職人探しているで?大工してたんやったら出来ると思うで!1人でできる仕事やし!」と教えてくれました。
ただ私は、「エクステリア?なんじゃそれ?インテリア?クロス屋か?」みたいな印象だったのですが、よく調べると大工が木で建築物をつくるとしたら、エクステリアはアルミで建築物をつくるといった印象でした。
エクステリアとの出会い
それから、堺の大手建材屋さんのエクステリア担当の方と面接をしました。
担当の方のお話では、私が個人事業主として独立して最初に私が仕事の車(ハイエースかトラック)と仕事の道具一式を用意してから仕事を振るので、仕事は商品に取付説明書が付いているから、それをちゃんと読んだら出来ます。とだけ、言われていました。
早速、その事を親に相談して親に足りなかった分は借金して、ボロボロのハイエースと、元々自分が大工仕事で持っていた道具にプラス脚立やハシゴを用意しました。
はじめのうちは手間受けとはいえ、働いたら働いた分が売上でしたが、『仕事が遅い』、その上『クレームも多い』、『クレーム処理でタダ働き』、そんな時期が数年続きましたが、なんとかギリギリ食べていけるくらいは稼げていました。
それから数年経ち、エクステリアの仕事もしっかりとこなし、お仕事を頂いていた建材会社様にも段々認めて貰えるようになった頃、ある重要な仕事を任されることになりました。
その仕事は、大手住宅販売様のひさしのお仕事や外構のサイクルポート、電気錠の門扉など確実な技術がないとできないものでした。
色々なクレームも出し、クレーム処理もしながらではありますが、懸命に確かな技術を身に付けながら頑張らせて頂きました。
機械ではなく人間なので間違うこともあります。
クレームも出たりしますがクレームには誠心誠意を持って是正に当たり、これからの傾向と対策を練り、技術を上げていくことが大事だと言うことを勉強しました。
あとは、やはり大手住宅販売会社様ということでヘルメットや長袖など安全に対する対策をキチッとやるべきだという事、お客様に喜んで頂けることの喜びなど大変多くのことを学ばせていただき職人としても成長できました。
ただ私1人が成長しても、周りの職人に伝えるのは難しい。
私一人で伝えることができる人数には限界があるため、そこでまず1人雇うことにしその子方さんの教育を始めました。
その子方さんが成長し、また次の子方を育てるそんな日々を現在4年ほどしております。
自分が15年かけて育ててきた技術、考えを子方に伝えるのは実に難しいですが、
今現在来てくれている子方さん達は一生懸命頑張って私に近づこうとしてくれていますし、楽しそうに仕事を覚えていってもらっています。
私を育ててくれた様々な方々。
最初に育ててくれた親方。
転職後、私を1万円の日当があると
見込んでくれた社長様。
私をエクステリアの道に導いてくれた友達。
エクステリアの仕事を頂きながら覚えさせて頂き
『挨拶』や『礼儀』の大切さも教えて頂いた
堺の大手の建材会社様。
堺の大手建材会社様に仕事を頂いている
元請け様に外構業者様。
また、建材会社様が私を選んでいただいて
お仕事をいただいている大手住宅販売会社様。
そして、こんな私の『理念』と『指導』に
ついて来てくれる子方さん達。
伝えたいこと
様々な方に、私は感謝しながら仕事に励んでいます。そんな心の道徳的な事も子方さんに伝えていきたいと思っています。
職人の技術と在り方を継承する。私が何年もかけて経験してきた仕事、職人とはこうあるべき等、今いる子方さん達を自分と同じレベルまで上げることが目標です。
古い考えかもしれませんが、『オトコは稼いでなんぼ』。
職人技術からお金を稼ぐ、職人技術を磨いて稼ぐ金額を増やしていく。
私はこれが当たり前であると思っていますし、これが格好いいオトコの姿だと思っています。
こんなに楽しくて、仕事の成果が具現化され、毎日充実感を味わうことが出来る仕事がサラリーマンにはあるのでしょうか?
何百万というお金と、膨大な時間をかけ一生懸命勉強した大学を卒業し就職する。
やっとの思いで就職をしたのにも関わらず、覇気のないやつれた顔で、満員電車に揺られる毎日を過ごす。
『自分の変わりはいくらでもいる。』その程度の技術しか身に付かず、給料も上がらず、リストラの可能性に怯え将来に希望を持てない。それが、今の若者の大半だと思います。
その反面、エクステリア職人は『技術を力に稼ぎに出来る』仕事です。
ですが、なぜか若者に人気がなくとても歯がゆい想いをずっと抱いております。
現場仕事=厳しいと思われがちかもしれません。
背中を見て覚えろ!なんてイメージを持っている方もいるかもしれません。
最近で言えば、『これだからゆとり世代は。』『今の若いもんは根性がない。ちょっと言えばすぐにやめる。』などを耳にします。
好き好んでこの時代を選んだわけでもないのに、一括りに悪く言われる理由もないはずです。
指導者の立場で言えば、時代が変わればその時代に合った指導方法に変えていくことが、建設的であり『人を育てること』だと私は思っています。
自分が子方だったら、『こうして欲しい。』『こうだったら仕事がしやすい。』
そんな環境を作ること、環境を整備することが親方としての役目だと思い取り組んでいます。
理不尽に怒ったり、その日の機嫌で子方さんに当たったり、時には暴力的な言葉で現場指導をしてはいけないのです。
それを見た、お客様が何を感じるか?言われた子方さんが何を思うか?
人の上に立つということは、人を救い上げる立場でもあります。
その日の機嫌で態度が変わったり、暴言や暴力があってはならないのです。
私が若い頃教えていただいた親方の教え通り、私は失敗しても怒鳴ったり手を出したりは一切した事がありません。
この教え方をこれからも貫いて、子方さんにも引き継いでほしいと思っています。